サッカー選手のもう一つの顔とも言えるのが背番号ですよね。
近年は番号固定制が当たり前になったために、この選手と言ったら何番!みたいなイメージもあるかと思います。
となると…その番号の意味というのも気になるところですよね。
今回はそんな背番号の意味を紹介したいと思います。
他にもこの番号を代表する有名な選手も紹介しますよ。
ということで今回は背番号7番編です!
Contents
サッカーの背番号7番の意味とは?
サッカーの背番号の意味・決め方を簡単に紹介
サッカーの背番号というのは、決して適当に決めているものではありません。
古くはポジションごとに番号が割り当てられており、番号を見れば役割がなんとなくわかる…といったものでした。
(元来の各ポジションの番号は、上記の図を参照)
近年は結構好きに番号を付けるようになってきた印象もありますが、現在でもこのポジションに由来した番号の付け方を見て取ることが出来ますよ。
フォーメーションと言いますか、戦術の発展の違いで国ごとに微妙に番号の意味が異なるのも面白いところ。
この辺りは非常に深いので、下記の記事で詳しく紹介しています。
背番号7の意味とは?
では、7番の意味とはいったい何なのか?
どこのポジションで何を象徴する番号なのかというと、こんな感じです。
・(右)サイドアタッカー
・マンUのエースナンバー
・ボランチ(インサイドハーフ)
一言でタイプを説明すると、テクニックのある攻撃的な選手が付けることが多いと言えるでしょう。
基本的には右側のアタッカーの番号となりますので、テクニックがありスピードがあってサイドを攻め上がるタイプに多い番号です。
戦術の発展の違いで、3トップになった国では右のウィングに。
2トップになった国では右のサイドハーフということが多いですね。
そしてマンチェスター・ユナイテッドのエースナンバーが7番。
これは1960年代のジョージ・ベストに遡りますが、これも元を辿ると右ウィングに由来。
この時代は背番号固定ではなくポジションごとに決められており、4-3-3が主流だったので右ウィングが7番でした。
ちょっと特殊なのが日本代表が思い浮かぶ、ボランチの7番。
これは恐らく4-4-2のダイヤモンドの時の、右セントラルハーフが7番だったから…ではないでしょうか?
守備力のあるディフェンシブハーフを1ボランチとして(6番)、攻守両用の右セントラル(7番)、より攻撃型の左セントラル(8番)、ゲームメイカーのトップ下(10番)といったのが、日本代表の歴史のような気がします。
サッカーの背番号7番の有名選手を紹介!
背番号7の代表的な選手といったら誰か。
なるべく時代が偏らずに…広く取りたいので「この選手がいない!」とかがあるかもしれませんが…ご了承下さい。
プレースタイルが3つありますので、せっかくですから全部を紹介しましょう。
サイドアタッカータイプ
まずはサイドアタッカータイプ。
ルイス・フィーゴ
フランク・リベリー
デビッド・ベッカム
フィーゴは典型的なサイドアタッカータイプ。
背番号通りに右側を定位置とし、ウィングとサイドハーフをこなす選手です。
スピードに乗った切れ味の鋭いドリブル突破が持ち味でしたね。
リベリーも典型的なサイドアタッカータイプです。
近年は左サイドが多いですが、元々は右サイドのアタッカー。
3トップ時にはウィングを、2トップ時にはサイドハーフとしてサイドを切り裂く7番の似合う選手です。
最後にベッカムです。
レアル時代はボランチでもプレーしていましたが、やはり彼の本職は右サイドハーフでしょう。
マンU栄光の7番の系譜であり、7番を付けた理由はポジションではなくマンUのエースだから…でしょう。
しかし典型的な右サイドハーフということでこちらで紹介します。
突破力はそれほどありませんでしたが、アーリークロスや…ディフェンスを抜き切らないで上げるクロスは絶品でした。
マンUのエースナンバー
そしてマンチェスター・ユナイテッドのエースナンバーとしての7番です。
ジョージ・ベスト
エリック・カントナ
クリスティアーノ・ロナウド
ユナイテッドの7番がエースナンバーな理由は、ジョージ・ベストまで遡ります。
世界最高の選手の1人して現在でも評価が高く、緩急自在のドリブル突破が武器の選手でした。
この頃は背番号は固定されていなかったものの、右ウィングが主戦場だったために7番が代名詞になっています。
エリック・カントナは背番号固定制度が導入されてから、初の7番を付けた選手。
今の人は…カンフーキックの方が有名になっているかもしれませんが、当時はユナイテッドの中心的存在であり、素晴らしいフォワードでした。
ポジション的にも7番のプレーヤーでは無いので、マンUエースの系譜と言って良いでしょう。
最後にクリスティアーノ・ロナウドですが、近年はフォワードの印象が強いでしょうか?
しかしユナイテッド時代には左ウィングや左サイドハーフとしてプレー。
プレースタイルとしては7番のプレーヤーですが、左右が逆なんですよね。
(左側は多くは11番)
ベッカム移籍で空いた7番をファーガソン監督から与えられたのがきっかけで、7番が代名詞に。
そういった意味ではマンUエースの系譜と言って良いでしょう。
ボランチタイプ
最後にボランチタイプ
中田英寿
遠藤保仁
柴崎岳
中田英寿選手は本来はトップ下のプレーヤー。
日本代表では体の強さと守備力を活かして、ボランチでプレーしていましたね。
本来はトップ下ということで、パルマやフィオレンティーナでは10番を与えられています。
しかし本人は10は好きではなく、7が好きなために7番を好んで使用。
ちなみに7番が好きな理由は「なんとなく」だそうです。
7番=ボランチはここから始まったと言っても良いでしょう。
遠藤保仁選手はボランチでプレーすることが多いですね。
中盤がダイヤモンドであればセントラルハーフでもプレーしており、これが7番になった理由ではないかと思います。
本人は7に拘りは無いそうで、与えられた番号が定着してしまったと語っています。
このブログでは、右のセントラルハーフとして7番になった説を提唱します。
柴崎岳選手は代表ではボランチでプレーしていますが、トップ下でもプレー出来るタイプです。
鹿島時代は20番と10番を付け、海外に出てもテネリフェで20番、ヘタフェで10番を付けたように…本当は10番を付けたいプレーヤーかと。
しかし代表では日本の司令塔=7番のイメージがあるため(遠藤保仁選手が作り上げたため)、7になったのではないでしょうか?
(香川真司選手がいるから、10は貰えなかった説もあるかもしれません。)
まとめ
ということで今回の記事のまとめです。
7番は右サイドアタッカーの番号
マンチェスター・ユナイテッドでは特別な番号
日本代表はボランチでプレーする司令塔タイプが付ける傾向に
国によって違いはあるものの、背番号はポジションに由来したものが多いです。
そのため、やはり似たタイプの選手と言いますか…イメージや特徴が近い選手が多くなるのが面白いところですよね。