サッカーの背番号14番の意味とは?有名選手やポジション・イメージを紹介!

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サッカー選手のもう一つの顔とも言えるのが背番号ですよね。

近年は番号固定制が当たり前になったために、この選手と言ったら何番!みたいなイメージもあるかと思います。

となると…その番号の意味というのも気になるところですよね。

今回はそんな背番号の意味を紹介したいと思います。

他にもこの番号を代表する有名な選手も紹介しますよ。

ということで今回は背番号14番編です!

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サッカーの背番号14番の意味とは?

サッカーの背番号の意味・決め方を簡単に紹介

サッカーの背番号というのは、決して適当に決めているものではありません。

古くはポジションごとに番号が割り当てられており、番号を見れば役割がなんとなくわかる…といったものでした。

(元来の各ポジションの番号は、上記の図を参照)

近年は結構好きに番号を付けるようになってきた印象もありますが、現在でもこのポジションに由来した番号の付け方を見て取ることが出来ますよ。

フォーメーションと言いますか、戦術の発展の違いで国ごとに微妙に番号の意味が異なるのも面白いところ。

この辺りは非常に深いので、下記の記事で詳しく紹介しています。

サッカー選手のもう一つの顔とも言えるのが背番号。 この背番号はいったいどのような順番で割り振られているのでしょうか? 1番からうまい...

背番号14の意味とは?

では、14番の意味とはいったい何なのか?

どこのポジションで何を象徴する番号なのかというと、こんな感じです。

・クライフの番号

一言でタイプを説明すると、クライフの番号としか言えないでしょう。

上記で紹介したように、昔はスタメンの選手の後ろから順に1~11番を割り当てていました。

そうなると…14番というのは控えの選手の番号です。

このイメージを一気に変え、世界中のサッカー選手達の憧れの番号にしたのは…アヤックスで、オランダ代表で中心選手として活躍していたヨハン・クライフの功績なんです!

クライフが14番を好んだのには諸説あるようですが…有名な逸話は2つほど。

1つはアヤックスのチームメイトであるヘリー・ミューレンが、着るべき7番のユニフォームが見当たらず困っていた説。

それを見かねたクライフが自身が着る予定だった9番のユニフォームを渡し、代わりに余っていたユニフォームを着た。

それがたまたま14番であり、その試合で大活躍したことからゲン担ぎの意味で14番を愛用した…というもの。

本来の9番というのは、クライフが最前線のFWだったから…ですね。

もう1つは「9番はディ・ステファノであり、10番はペレの番号だから」というもの。

そのため誰も付けていない番号を自分の番号にする…と語った説ですが、ではなぜ14番だったのか?

それはアヤックスの下部組織時代に大会に優勝した時の背番号が14だったから…というゲン担ぎ説と、既に2番と14番しか空いていなかったから…という説があります。

オランダでは他国に先駆け、1970年に背番号固定制を採用!

(他の主要リーグが1995年頃からということを考えると…当時は超画期的)

クライフはクラブハウスに行くのが遅かったので、既に2番と14番しか空いていなかったということですが…中心選手であったクライフがそんな扱いを受けた…とも考えにくかったり。

本当のところは既にわからなくなっていますが、そんなこんなで14番はクライフの代名詞に。

そして彼に憧れた他の選手が14番を付けることで、控えの番号は一躍人気の番号になりました。

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サッカーの背番号14番の有名選手を紹介!

背番号14の代表的な選手といったら誰か。

なるべく時代が偏らずに…広く取りたいので「この選手がいない!」とかがあるかもしれませんが…ご了承下さい。

元をただせば控え選手の番号であり、特別化したのはクライフの功績…というのは上記の通りです。

なので、時代ごとに有名選手を紹介したいと思いますよ。

往年の背番号14

まずは往年の選手。

ヨハン・クライフ

マルコ・タルデッリ

ジャン・ティガナ

まずは14番を特別な番号にした張本人である、ヨハン・クライフ。

フライング・ダッチマンというニックネームで、20世紀を代表する選手と評されています。

センターフォワードが本職であるものの、最前線に張り付くことはなく比較的自由に動き回るタイプでした。

(当時としては珍しい)

当時のオランダ代表は現代サッカーに続く、トータルフットボールなんて言われ方をしますが…かなり時代を先取りした現代的な選手だったようですね。

ちなみにアヤックス時代とオランダ代表では14番を愛用していましたが、1973年に移籍したバルセロナでは主に9番を使用。

これは当時のリーガ・エスパニョーラが背番号固定制ではなかったため、CFの番号である9番を付けたからですね。

続いてユヴェントスやイタリア代表で活躍したタルデッリ。

1982年のワールドカップスペイン大会でイタリアは優勝し、この時の背番号が14だっただけに…タルデッリ=14番のイメージが強い方も多いかと。

しかし…身もふたもない話になりますが…当時のイタリア代表はアルファベット順に背番号を割り当てています。

そのため、遡って1980年のユーロでは15番ですし、次の1986ワールドカップでも15番です。

名前順でだいたいこの辺りになる…というだけでした。

クラブを見ても背番号固定制ではなかったため、ユヴェントスやインテルでは8番が多かったようですね。

最後にリヨンやボルドーで活躍し、フランス代表でも活躍したティガナです。

攻守両用型のMFで、セントラルハーフとして活躍した選手です。

なぜ14番だったのかは謎ですが、1982ワールドカップ、1984ユーロ、1986ワールドカップで14番を付けています。

当時としては珍しい、攻守のバランスを取るタイプの選手でしたね。

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90年代~00年代の背番号14

そして90年代~00年代の14番です。

ディエゴ・シメオネ

ティエリ・アンリ

シャビ・アロンソ

今では監督のイメージが強いシメオネ14番を愛用した選手。

アルゼンチン代表ではマラドーナの後に10番を付けていますが、その後は14番や8番を使用。

クラブでは比較的どこでも14番を選んで付けていました。

この番号を選んだ理由は不明ですが、こだわりの番号だったことは確かですね。

闘志あふれるハードな守備が持ち味の選手でした。

続いてアーセナルやフランス代表で活躍したアンリ。

彼は代表では12番を使い、クラブでは14番を使っていた選手です。

14番はクライフから…フィールドプレーヤーには珍しい12番はファン・バステンから取ったそうですね。

爆発的なスピードが武器のストライカーでした。

最後にリヴァプールやレアル、スペイン代表で活躍したシャビ・アロンソ。

彼も選べる時には14番を愛用した選手ですね。

これはやはりクライフへの憧れ…のようです。

広い視野と精度の高いロングパスが特徴の選手でしたね。

ちなみに、レアル移籍時にはグティが14番を付けていましたが…移籍に伴い14に変更。

グティも生涯で14番を愛した選手でした。

2010年代以降の背番号14

最後に2010年代以降の背番号が14です。

中村憲剛

ハビエル・マスチェラーノ

ルカ・モドリッチ

日本を代表する背番号14と言えば、やはり中村憲剛選手でしょう。

クラブでも代表でも14番に拘っているように見えます。

フロンターレではルーキーイヤーこそ26番でしたが、翌年から14番ですね。

(ちなみにこの時の14番は神戸からレンタル中だった茂原岳人選手でした)

特に語られていないようですが、バルサ党でもありますので…この番号はクライフが理由だと思われます。

続いてバルセロナやアルゼンチン代表で活躍したマスチェラーノ。

代表では2007年頃から14番を付け始め、クラブではバルセロナ移籍の2010年からです。

彼がなぜ14番を好んだのかは…正直わかりません。

球際の厳しさが特徴で、ドリブルもパスも上手かったので守備的MFとして活躍した選手です。

バルサ移籍でCBにコンバートとなりましたが、積極的なボール奪取が特徴でしたね。

最後にレアルやクロアチア代表で活躍するモドリッチ。

最近はどちらも10番を付けてプレーしていますが、代表の初期やトッテナム時代に14番を付けていました。

14番の理由はクライフへの憧れです。

10番は母国の英雄であるズボニミール・ボバンへの憧れのようです。

しかし代表デビュー当時に10番を付けていたのが、キャプテンも務めたニコ・コヴァチでしたからね…。

コヴァチ引退以降は10番になっています。

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まとめ

ということで今回の記事のまとめです。

14番はクライフの番号

本来は控え選手の番号だった

クライフに憧れた選手が付けてきた

国によって違いはあるものの、背番号はポジションに由来したものが多いです。

そのため、やはり似たタイプの選手と言いますか…イメージや特徴が近い選手が多くなるのが面白いところですよね。

他の背番号の意味・由来に関しては、下記からどうぞ!

背番号の意味まとめ
1番 2番 3番 4番 5番
6番 7番 8番 9番 10番
11番 12番 13番 14番 15番
16番 17番 18番 19番 20番

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

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