マンチェスター・ユナイテッドのレジェンド、ポール・スコールズ。
現役時代はマンU一筋を貫き、現在は監督としてのキャリアを歩み始めています。
そんなスコールズの背番号を歴代で紹介します。
18番の印象が強いですが、結構他の番号も使っていましたよね。
【所属クラブ】
1992-1995 | マンチェスター・ユナイテッド | 24 |
1995-1996 | 22 | |
1996-2011 | 18 | |
2012-2013 | 22 |
【イングランド代表】
1998 | ワールドカップ | 16 |
2000 | ユーロ | 8 |
2002 | ワールドカップ | 8 |
2004 | ユーロ | 8 |
Contents
スコールズの背番号を歴代で紹介!【クラブ編】
マンチェスター・ユナイテッド【1992-2011】
1992-1995 | マンチェスター・ユナイテッド | 24 |
1995-1996 | 22 | |
1996-2011 | 18 |
スコールズはマンチェスター・ユナイテッドのユース出身で、1993年7月にプロ契約。
資料的には1992-1993シーズンより書かれることが多いですが、この頃は実質U-23チームの所属と言って良いのではないでしょうか。
トップチームで初の試合は1994年9月21日のリーグカップ。
その3日後の1994年9月24日の試合でプレミアリーグデビューとなっています。
このキャリア初期の背番号は24番ですね。
1995-1996シーズンより背番号が22番に変更されます。
この頃はエリック・カントナがカンフーキック事件で出場停止(正しくは1994-1995シーズンですが)もあり、スコールズはフォワードでプレーすることも多かった時期です。
翌1996-1997シーズンより背番号を代名詞ともいえる18番に変更。
この頃には主力選手と言える状態であり、1桁番号も可能だったと思うのですが…なぜか18番を選んでいます。
この世代は黄金世代であり、例えばギャリー・ネビルは2番(20番から変更)、ディビッド・ベッカムは10番(24番から変更)、ギグスはそれ以前からですが11番と主力選手の番号を付けていました。
この年に8番を付けたのは同じくファーガソンの雛鳥の1人であるニッキー・バット(19番から変更)
当時の序列が表れているのか、好みの問題なのか…。
その後は2003-2004シーズン終了後にニッキー・バットがニューカッスルに移籍。
8番の前提で話をしてしまいますが…8番が空いたもののスコールズは18番を継続使用。
ちなみに空いた8番は新加入のウェイン・ルーニーが付けることになりました。
そしてスコールズは2010-2011シーズン限りで現役を引退。
最初の引退まで18番を使い続けていますね。
マンチェスター・ユナイテッド【2012-2013】
2012-2013 | マンチェスター・ユナイテッド | 22 |
2010-2011シーズン限りで現役を退き、翌2011-2012シーズンはコーチとしてチームに帯同。
しかし半年後の2012年1月に現役復帰しています。
この時の背番号は22番ですね。
既に2011-2012シーズンも約半分が終わったタイミングであり、このシーズンの18番はアストン・ヴィラから新加入のアシュリー・ヤングが付けていたため空いていませんでした。
もう一つの番号である24番はと言うと、2003-2004シーズンよりダレン・フレッチャーが付け続けていましたね。
そのため1995-1996シーズンに使った22番を選択した…のではないでしょうか。
翌2012-2013シーズンも22番を付けてプレーし、シーズン終了後に改めて引退しています。
スコールズの背番号を歴代で紹介!【イングランド代表編】
ワールドカップ【1998】
1998 | ワールドカップ | 16 |
スコールズの代表デビューは1997年5月の親善試合である南アフリカ戦です。
その後は招集されたりされなかったりという状態でしたが、1998年のフランスワールドカップはメンバー入り。
全4試合全てに出場し、初戦のチュニジア戦ではゴールも記録しています。
この大会での背番号は16番です。
番号が選べた立場では無かったかと思います。
ちなみにこの大会での8番は当時リーズに所属のデビッド・バッティで、18番は当時アーセナル所属のマーティン・キーオンでした。
そんな1998ワールドカップ、得点を挙げたチュニジア戦です。
ユーロ【2000】
2000 | ユーロ | 8 |
続くユーロ2000でも中心選手として全3試合に出場。
チームはグループリーグ敗退となっていますが、スコールズは1得点1アシストと悪くないパフォーマンスを見せていますね。
この大会より背番号は8番となっています。
1ゴールを記録したポルトガル戦のハイライトがこちら。
ワールドカップ【2002】
2002 | ワールドカップ | 8 |
続く2002年の日韓ワールドカップでも、代表の中心選手として出場。
全5試合全てに出場し、準々決勝敗退となったものの…アルゼンチン戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選出されるなどの活躍を見せています。
この大会でも背番号は8番でプレーしていますよ。
そんなアルゼンチン戦のハイライトです。
ユーロ【2004】
2004 | ユーロ | 8 |
続くユーロ2004にも招集されますが、本来のセントラルハーフにはジェラードとランパードを配置。
スコールズは左のサイドハーフで起用されています。
全4試合全てにスタメン出場したものの、全ての試合で途中交代させられるということもあり…チームの中での(というよりはエリクソン監督の中での)序列が落ちている感がありました。
この大会でも背番号は8番を付けてプレーしています。
この扱いが原因なのかは不明ですが、大会終了後に代表からの引退を表明。
エリクソン監督が退任となり…新たにスティーブ・マクラーレン監督が就任し、ユーロ2008に向けてスコールズに代表復帰を説得したものの…断っています。
更には2010年にはファビオ・カペッロ監督が2010ワールドカップに向けて代表復帰を説得したものの…これも断り代表に復帰することはありませんでした。
ちなみに、スコールズ引退後のイングランド代表で8番を受け継いだのはフランク・ランパードです。
まとめ
ということで今回の記事のまとめです。
スコールズの背番号をクラブと代表でそれぞれ紹介
クラブでは18番、代表では8番が多い
18番にこだわりがあったのか…8番が良かったのか…なんとも謎な感じですね。
早過ぎる代表引退も残念な選手でした。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。