インテルのカピターノである、ハビエル・サネッティ。
長友佑都選手とも仲が良いとして、日本でもお馴染みの選手でしたね。
そんなサネッティの背番号を歴代で紹介します。
インテルで永久欠番となったように、4番のイメージが強いですが…4以外の番号はあるのでしょうか?
【所属クラブ】
1992-1993 | タジェレス | 4等 |
1993-1995 | CAバンフィエルド | 11,7,4等 |
1995-2014 | インテル・ミラノ | 4 |
【アルゼンチン代表】
1995 | コパ・アメリカ | 4 |
1998 | ワールドカップ | 22 |
1999 | コパ・アメリカ | 8 |
2002 | ワールドカップ | 8 |
2004 | コパ・アメリカ | 8 |
2005 | コンフェデレーションズカップ | 4 |
2007 | コパ・アメリカ | 8 |
2011 | コパ・アメリカ | 8 |
Contents
サネッティの背番号を歴代で紹介!【クラブ編】
タジェレス【1992-1993】
1992-1993 | タジェレス | 4等 |
サネッティはCAインデペンディエンテの下部組織出身ですが、途中で実力不足により退団。
日本で言うところのユースに昇格出来なかった…的な感じでしょうか。
そしてCAタジェレスというチームのユースに入団し、1992-1993シーズンよりトップチームに昇格しています。
この頃のアルゼンチンリーグでは背番号は固定されていなかったと思われます。
そのため、右サイドバックで出場が多かったことより4番を付けていたことが多いようですね。
アルゼンチンでは2番が右のCBで、右のSBが4番というケースが結構あるんですよね。
この辺りは別記事が詳しいので、そちらもどうぞ。
フルマッチですので非常に長いですが、4番を付けてプレーするタジェレス時代のプレーをどうぞ。
CAバンフィエルド【1993-1995】
1993-1995 | CAバンフィエルド | 11,7,4等 |
1993-1994シーズン前にCAバンフィエルドに移籍。
この時も背番号は固定されていないので、様々な番号でプレーしています。
右側での起用が多かったので、サイドバックなら4番、サイドハーフなら7番という感じだったようですね。
11番で出場したという記録も残っているようです。
そんなバンフィエルド時代のプレー映像をどうぞ。(この動画では7番です)
インテル・ミラノ【1995-2014】
1995-2014 | インテル・ミラノ | 4 |
1995-1996シーズン前にインテルへ移籍。
マッシモ・モラッティ会長が獲得した最初の選手としても有名ですね。
セリエAでは調度このシーズンから背番号の固定制度を採用し、サネッティは代名詞とも言える4番を付けています。
キャリアの中で移籍の噂もありましたが、このままインテルで引退するまで同じ番号を使ったために「サネッティ=4番」というイメージが定着していますね。
インテル時代の前半は主に右サイドバックとしてプレー。
2006年のマイコン加入辺りから、サイドハーフやセントラルハーフとしてのプレーが増えた印象があります。
インテルでは通算800試合(カップ戦含む)を達成し、功績を称えて引退後には背番号4が永久欠番となっています。
インテル時代のプレー映像をどうぞ。
https://youtu.be/f6Y8MX04nx4
サネッティの背番号を歴代で紹介!【アルゼンチン代表編】
コパ・アメリカ【1995】
1995 | コパ・アメリカ | 4 |
アルゼンチン代表デビューは1994年11月のチリ戦です。
右サイドバックの人材不足に悩んでいたこともあり、U-23世代のサネッティが初招集となりました。
1995年のコパ・アメリカにも4試合中3試合に出場し、早々にレギュラーの座を掴んでいますね。
この時の背番号は4番です。
チームとしては準々決勝でブラジルに破れています。
そんな準々決勝のハイライトがコチラです。
ワールドカップ【1998】
1998 | ワールドカップ | 22 |
続くフランスワールドカップにもメンバー入り。
日本代表ともグループステージで対戦しているので、記憶にある方も多いのではないでしょうか?
全5試合全てに出場し、3バック時には右のサイドハーフとして、4バック時には右のサイドバックとしてプレー。
完全にレギュラーとしてプレーしているのですが…なぜかこの時の背番号は22番でした。
そんなフランスワールドカップ、日本戦のハイライトがこちらです。
コパ・アメリカ【1999】
1999 | コパ・アメリカ | 8 |
続く1999年のコパ・アメリカにも選出され、4試合中3試合に出場しています。
この大会でも準々決勝で再びブラジルに破れる…という結果に。
3バックを採用し、右のWBと言いますかSMFと言いますかでプレーしたためか8番を付けています。
ちなみにこの時の4番は、サネッティ同様にサイドバックを主戦場としていたウーゴ・イバーラが付けています。
ワールドカップ【2002】
2002 | ワールドカップ | 8 |
続く日韓ワールドカップでもチームは3バックを採用。
そのため、右のサイドハーフや右側のセントラルハーフとしてプレーしています。
そういった事情が関係していると思うのですが、この大会でも8番を付けていますよ。
ちなみに4番はと言うと、左のCBを務めたマウリシオ・ポチェッティーノが付けました。
チームはまさかのグループステージ敗退となっています。
コパ・アメリカ【2004】
2004 | コパ・アメリカ | 8 |
続く2004年のコパ・アメリカにも出場。
全6試合にフル出場していますが…またもやブラジルに破れて準優勝という結果に。
この大会でも8番を付けてプレーしています。
得点シーンのハイライトなので、あまり映っていませんがアルゼンチン代表のハイライト動画がこちらです。
コンフェデレーションズカップ【2005】
2005 | コンフェデレーションズカップ | 4 |
翌年のコンフェデレーションズカップにも出場。
この大会でも全5試合に出場しています。
しかしチームはまたもやブラジルに破れて準優勝。
この頃はブラジルに勝てないアルゼンチン代表…といった感じでしたね。
この大会では4番を付けてプレー。
3バックのチームでしたので右のサイドハーフとしてプレーしました。
準決勝のメキシコ戦で、アルゼンチン代表通算100試合も達成しましたね。
コパ・アメリカ【2007】
2007 | コパ・アメリカ | 8 |
続く2006年のドイツワールドカップでは、世代交代を掲げたホセ・ペケルマン監督により…代表を支えてきたワルテル・サムエルと共に選出されませんでした。
この大会後に就任したアルフィオ・バシーレ監督により、再びサネッティは代表に復帰。
2007年のコパ・アメリカにも選出されています。
ロベルト・アジャラに次ぐ副キャプテンとして、全6試合にフル出場。
アジャラがベンチスタートとなったパラグアイ戦ではキャプテンマークを巻いています。
(更にこの試合は珍しく左サイドバックでプレー)
しかしチームとしては…またしても決勝でブラジルに破れて準優勝という結果に。
この大会では背番号が再び8番でした。
コパ・アメリカ【2011】
2011 | コパ・アメリカ | 8 |
続く2010年の南アフリカワールドカップでも…マラドーナ監督によりエステバン・カンビアッソと共に選出されず…。
国内外問わず非常に話題になったのが記憶に新しいですね。
南アフリカワールドカップ後に就任したセルヒオ・バティスタ監督によりサネッティは再び代表に招集され、2011年のコパ・アメリカにも選出。
全4試合にフル出場しましたが…チームとしては精彩を欠き…準々決勝で敗退しました。
この大会でも背番号は8番を付けています。
まとめ
ということで今回の記事のまとめです。
サネッティの背番号をクラブと代表でそれぞれ紹介
クラブではほぼ4番
代表では8番が多い
代名詞とも言えるのは4番ですが、代表では4番と8番を交互に使っていた感じです。
むしろ8番の方が多いくらいでしたね。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。