フランスが世界に誇る司令塔であるジダンです。
プレースタイルと共に、10番が非常に似合う選手でしたよね。
なのですが、意外や意外に所属クラブでは10番を付けることが少なかった印象も。
今回はそんなジダンの歴代の背番号を振り返ってみたいと思います。
せっかくなのでクラブと代表の両方を見て行きましょう。
そして、なぜクラブで10を付けていなかったのかを紹介します。
【所属クラブ】
1988-1992 | カンヌ | 8,9,10,11等 |
1992-1996 | ボルドー | 7 |
1996-2001 | ユヴェントス | 21 |
2001-2006 | レアル・マドリード | 5 |
【フランス代表】
1996 | ユーロ | 10 |
1998 | ワールドカップ | 10 |
2000 | ユーロ | 10 |
2002 | ワールドカップ | 10 |
2004 | ユーロ | 10 |
2006 | ワールドカップ | 10 |
Contents
ジダンの背番号を歴代で紹介!【クラブ編】
カンヌ【1988-1992】
1988-1992 | カンヌ | 8,9,10,11等 |
ジダンは地元のクラブでキャリアをスタートし、その後いくつかのユースでプレーした後ASカンヌのユース入りとなります。
そして1988年にトップチームに昇格するも、出番はリーグ終盤のわずかな時間のみ…。
翌1989-1990シーズンはリザーブチーム所属で4部リーグでプレーしています。
1990-1991シーズン頃よりトップチームで出場機会が増え、期待の若手といった立ち位置に移っていくことになりました。
この頃はまだ背番号固定制度が採用されておらず、先発に1~11の数字を割り当てる形でした。
そのため試合によって番号が異なり、結構多くの番号を付けているようです。
確認出来るのは8,9,10,11番辺りの番号となっていますよ。
ボルドー【1992-1996】
1992-1996 | ボルドー | 7 |
1992-1993シーズンを前に、同じくフランス国内のFCジロンダン・ボルドーへ移籍。
リーグ・アン最優秀若手選手に選出されるなど、大きな活躍を見せています。
1995-1996シーズンではUEFAカップでの大活躍により、フランス国内から欧州全土で注目される選手に。
ユヴェントスの「ミシェル・プラティニの後継者を見つけた」という言葉が有名ですね。
リーグ・アンでの背番号固定制度採用シーズンが不明なのですが…早かったプレミアリーグが1993-1994シーズンから。
ラ・リーガやセリエAは1995-1996シーズンからでしたので、恐らくボルドー時代の最後のシーズン辺りに固定されたのかと思います。
しかし残る映像を観ると、わりとどの試合でも7番を付けてプレーしているようです。
ユヴェントス【1996-2001】
1996-2001 | ユヴェントス | 21 |
1996-1997シーズンを前にイタリアのユヴェントスへ移籍。
移籍当初こそイタリアサッカーへの順応に苦しんだように見えましたが、トップ下にポジションを移してから一気に輝きましたね。
背番号は21番となりましたが理由は不明です。
詳しくは「クラブで10番を付けなかった理由」のところで紹介しますが、主要番号が空いてなかった…というのはあると思います。
この頃のユーヴェは非常に強く、デルピッポ(デル・ピエロとインザーギ)と称された2トップにそれを操る司令塔のジダンという構図でした。
レアル・マドリード【2001-2006】
2001-2006 | レアル・マドリード | 5 |
2001-2002シーズンを前にレアル・マドリードへ移籍。
色々な話がありましたが、有力とされているのが奥さんが母国であるスペインに戻りたがっていた…という説と、よりテクニカルで攻撃的なサッカーであるリーガ・エスパニョーラに行きたがっていた…という説があります。
背番号は5番となり、これは前年に引退したレアルのキャプテンであるマヌエル・サンチスの番号を引き継いだ形に。
一説ではユーヴェ時代同様に21番を望んだとも言われていますが、サンティアゴ・ソラーリが前シーズンから愛用していたんですよね。
銀河系軍団と称されたチームの攻撃の中心選手として活躍し、世界最高峰の選手らしい素晴らしいプレーの数々を見せてくれました。
ジダンの背番号を歴代で紹介!【フランス代表編】
ユーロ【1996】
1996 | ユーロ | 10 |
ジダンのフランス代表デビューは1994年8月17日の、親善試合チェコ戦です。
これは確かユーリ・ジョルカエフの負傷による追加招集だったハズ。
しかし後半から出場し2得点を挙げる活躍を見せたことでA代表に呼ぶべき選手という印象を与えます。
この試合では14番を付けてプレーしました。
ちなみに10番はコランタン・マルティンスでした。
ユーロ1996の予選は序盤こそ呼ばれないことも多かったですが、後半は定着し本戦のメンバー入りも果たしました。
背番号は10番を与えられ、24歳でフランス代表の中心選手に。
ゴールやアシストといった数字こそないものの、5試合全てに出場しフランスのベスト4に貢献しましたね。
ワールドカップ【1998】
1998 | ワールドカップ | 10 |
続く母国開催のワールドカップ1998は、開催国で予選が免除。
本戦のメンバー入りを果たし10番を付けてプレーしています。
しかしグループステージ2試合目のサウジアラビア戦で一発退場…。
2試合の出場停止となりますが、チームはしっかりと勝ち抜きジダンも復帰。
決勝ブラジル戦ではジダンの2ゴールもあり、見事に母国でのワールドカップを制しました。
この活躍によりバロンドール、FIFA最優秀選手賞などを受賞していますね。
ユーロ【2000】
2000 | ユーロ | 10 |
続くユーロ2000でも10番を付けてプレー。
6試合中5試合に出場し、2得点1アシストの記録を残してフランスの優勝に貢献。
この大会でも最優秀選手賞を受賞し、更には2度目のFIFA最優秀選手賞を受賞しています。
ワールドカップ【2002】
2002 | ワールドカップ | 10 |
続くコンフェデレーションズカップ2001は招集外に。
この大会で代わって10番を付けたのはエリック・カリエールでした。
そして前回王者として予選免除で臨んだワールドカップ2002ですが…直前の親善試合韓国戦で負傷。
その影響で本大会のメンバー入りはしたものの、出場はグループリーグ最後のデンマーク戦のみとなりました。
チームも精彩を欠き、1勝も出来ずに前回王者がグループリーグで消えるという…波乱の大会でした。
アンリ、トレゼゲ、シセと各国のリーグ得点王がチームにいながら…1得点もなかったという信じられない結果となりましたね。
ユーロ【2004】
2004 | ユーロ | 10 |
ユーロ2004の前に母国でのコンフェデレーションズカップが行われましたが、招集外になっています。
この大会で10番を付けたのはリュドヴィク・ジュリでした。
ユーロ2004でも10番を付けてプレーし、4試合全てに出場。
3ゴール1アシストの活躍を見せましたが、チームはギリシャに敗れてベスト4となっています。
この大会は初戦のイングランド戦での劇的な逆転勝利が大きな印象に残っているでしょうか。
ワールドカップ【2006】
2006 | ワールドカップ | 10 |
ユーロ2004が終わってから、有望な若手選手に道を譲る…ということで代表引退を発表しました。
その後は表明通りに代表から離れましたが、ワールドカップ2006の欧州予選でフランス代表は苦戦。
レイモン・ドメネク監督やキャプテンであるパトリック・ヴィエラなどの説得に応じて復帰。
この時にはジダンの他にもクロード・マケレレ、リリアン・テュラムも復帰しましたね。
この復帰劇により見事に予選を突破しましたが、ジダンは本大会終了後に再び代表引退することを表明。
本大会ではカード累積による出場停止を除く全試合に出場、3ゴール2アシストでフランスを準優勝に導きました。
しかし…この大会は…どうしてもマテラッツィへの頭突きでの退場が印象に残ってしまいましたね。
背番号はもちろん10番を付けてプレーしました。
ジダンがクラブで10を付けなかった理由は?
ジダンがクラブで10番を付けなかった理由ですが、本人にこだわりがないからのようです。
どうやら背番号にこだわりがあまりないみたいなんですよね。
10番に対するこだわりもないようで…。
ジダンが代表に定着した頃はエリック・カントナがチームの中心でした。
しかし1995年にあの有名なカンフーキックにより、長期の出場停止に。
フランス代表はジダンを中心としたチームにすることを決意。
チームの中心の自覚を植え付けるために10番を与えた…なんて話もあるようです。
ボルドー時代は7番を付けているので、もしかしたら7の方が好きな番号の可能性はありますね。
ただ、この時も10番は既にリシャルト・ビチュヘという選手が付けていました。
(アヤックス時代の画像でごめんなさい…)
ちなみにユヴェントス時代はというと、7番はディ・リービオが、10番はクラブの象徴であるデル・ピエロが付けていました。
ついでに言うと8番はアントニオ・コンテでしたね。
そしてレアル時代はというと、7番はラウールが、10番はフィーゴが付けていましたね。
なかなかこの状況で7番か10番を要求するというのは…難しいかと思います。
21番を希望したという話もありますが、ソラーリが使っていました。
サッカー中は非常に熱くなりやすい印象がありますが、ピッチを離れると非常に寡黙で内気な性格と言われていますよ。
そんな性格かつ、背番号にこだわりが強くなかったということもあり…移籍の際にも背番号の要求は強くしていないような気がしますね。
空いている番号から好きなの選んだ…って感じかと思われます。
まとめ
ということで今回の記事のまとめです。
ジダンの背番号はクラブと代表別に本文内にまとめ
番号にこだわりがなく、空いている番号から選んだ可能性が高い
欧州リーグをよく見る方は、5の印象が強いですかね?
昔からのファンはユーヴェ時代の21でしょうか?
個人的にはなんとなくフランス代表での10のイメージが強いですね。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。