イングランドの貴公子、デビット・ベッカムですがやはり背番号は7のイメージが強いですよね。
代表でも7を愛用しており、マンチェスター・ユナイテッド時代も7という印象が。
レアル移籍後は7ではなくなり、色々な番号を付けた印象もありますが…果たしてなぜその番号を選んだのでしょうか?
実はマンU時代にも10とかを付けていたシーズンもあるんです!
せっかくなので、ベッカムの背番号を歴代で振り返ってみたいと思いますよ。
そしてその番号を選んだ理由と言いますか、由来といったものも調べてみました!
【所属クラブ】
1993-1994 | マンチェスター・ユナイテッド | 28 |
1994-1995 | 28 | |
1995-1996 | 24 | |
1996-1997 | 10 | |
1997-2003 | 7 | |
2003-2007 | レアル・マドリード | 23 |
2007-2008 | ロサンゼルス・ギャラクシー | 23 |
2009-2010 | ACミラン (loan) | 32 |
2010-2012 | ロサンゼルス・ギャラクシー | 23 |
2013 | パリ・サンジェルマン | 32 |
【イングランド代表】
1998 | ワールドカップ | 7 |
2000 | ユーロ | 7 |
2002 | ワールドカップ | 7 |
2004 | ユーロ | 7 |
2006 | ワールドカップ | 7 |
Contents
ベッカムの背番号を歴代で振り返る!【クラブ編】
マンチェスター・ユナイテッド【1993-2003】
1993-1994 | マンチェスター・ユナイテッド | 28 |
1994-1995 | 28 | |
1995-1996 | 24 | |
1996-1997 | 10 | |
1997-2003 | 7 |
ベッカムの背番号を歴代で振り返る前に、知っておくべきことが1つあります。
現在のような選手ごとに固定の番号となったのは、イングランドのプレミアリーグでは1993-1994シーズンからなんです。
それ以前には試合ごとに背番号が変更となり、スタメンの選手に1~11までの番号が割り振られる形だったんですよね。
これは昔のJリーグでもそうでしたので、ご存知の方も多いかもしれません。
現代の若い世代の方は…信じられないかもしれないですけどね。
そんな時代もあったのですよ。
ベッカムがトップチームでデビューしたのは1992-1993シーズンから。
カップ戦のみの出場となり、翌1993-1994シーズンもカップ戦のみの出場となっています。
カップ戦は記録が怪しいのですが…どうやら15番でプレーしたようですね。
出場はなかったものの1993-1994のリーグの登録は28番のようです。
1994-1995シーズンはプレストンに1ヶ月ほどのレンタルがありました。
しかしユナイテッドに故障者が続出したこともあり、すぐに復帰しプレミアデビューを果たしています。
登録は前年同様に28番です。
1995-1996シーズンは24番に変更され、前年まで24番を付けていたポール・スコールズは22番に。
1996-1997シーズンは背番号10番が与えられていますが、確か1995-1996はマーク・ヒューズが移籍したことにより10番不在のシーズンだったかと。
1997-1998シーズンからはエリック・カントナの引退に伴い7番に変更。
10番は新加入のテディ・シェリンガムが付けることになりました。
レアル・マドリード【2003-2007】
2003-2007 | レアル・マドリード | 23 |
2003-2004シーズンよりスペインのレアル・マドリードへ移籍。
ベッカムの象徴的な番号とも言える7番ですが、レアルではクラブの象徴でもあるラウル・ゴンサレスが付けていましたね。
そのため、マイケル・ジョーダンの番号として23番を選択したと言われています。
(前年度は23番の選手がいないので、恐らく空き番だった)
この辺りの詳細は後ほど改めて紹介しますよ。
レアル時代はずっと23番を使い続けることになりましたね。
ロサンゼルス・ギャラクシー【2007-2012】
2007-2008 | ロサンゼルス・ギャラクシー | 23 |
2010-2012 | ロサンゼルス・ギャラクシー | 23 |
2006-2007シーズン中の1月にアメリカのロサンゼルス・ギャラクシーと契約し、シーズン終了後に移籍することが発表されました。
メジャーリーグサッカーには年俸総額の上限制度が導入されていますが、範囲外で最大2人まで獲得が可能な特別指定選手制度を初めて認定されたのがベッカムです。
そのため、このサラリー外のルールをベッカム・ルールと呼ぶことも。
背番号はレアル時代同様に23番となりますが、前年に23番を付けていた選手が15番に変更しています。
ベッカムが譲ってもらったのか…15番に変更したことで23番が空いたのか…この辺りは不明です。
途中ACミランへのレンタル移籍がありましたが(後述)、2012シーズン終了まで23番を付けてプレーしています。
ACミラン【2009-2010】
2009-2010 | ACミラン (loan) | 32 |
メジャーリーグサッカーは欧州とは時期が多少異なることもあり、2010年のワールドカップ予選期間中にはシーズンオフになります。
そのためイングランド代表でプレーするために、コンディション維持のために欧州に戻るのではないか…という噂がありました。
結果、2009年1月にベッカムはACミランに加入。
当初はメジャーリーグサッカーが開幕する3月までのレンタル移籍の予定でしたが、ミランでの活躍もあり完全移籍を希望したと言われています。
交渉は決裂したものの、当初の3月までの契約が延長され7月中旬までレンタル期間が延びることでお互いに妥協した形に。
7月中旬以降はロサンゼルス・ギャラクシーに戻りましたが、翌2010年1月に再びレンタルでACミランに加入。
この年のレンタルは2009-2010シーズン終了までの契約でした。
ミランではどちらのシーズンも7番と23番が空いていなかったため、32番となっています。
この辺りの詳細も後程紹介しますよ。
パリ・サンジェルマン【2013】
2013 | パリ・サンジェルマン | 32 |
2012年限りでロサンゼルス・ギャラクシーを退団し、2013年冬の移籍でフランスのパリ・サンジェルマンへ移籍。
シーズン途中からの加入となったものの、この年のパリのリーグ優勝に貢献しています。
そしてこのシーズンを限りに現役引退となりました。
わずか半年での退団でしたが、王者として身を引きたいという哲学があったようで…同シーズンにアメリカとフランスでチャンピオンを獲得するという珍しい経験をもって引退となりましたね。
パリ・サンジェルマンはこの年から2015-2016シーズンまで4連覇を達成していますが…それは結果論というものでしょう。
パリ・サンジェルマンでも7と23は既に使用している選手がいたために、32番を使用しています。
ベッカムの背番号を歴代で振り返る!【イングランド代表編】
ワールドカップ【1998】
1998 | ワールドカップ | 7 |
ベッカムのイングランド代表デビューは、1996年9月1日のワールドカップ予選モルドバ戦でした。
デビュー戦の背番号も7番でしたね。
そのままコンスタントに予選には招集され続け、1998年フランスワールドカップのメンバー入りを果たします。
グループステージ第3試合のコロンビア戦では、フリーキックから代表初ゴールを記録。
決勝トーナメント初戦のアルゼンチン戦でも1アシストしたものの…ディエゴ・シメオネへの報復で1発レッドで退場…。
チームもPKで敗戦となり、母国では「10人の勇敢な獅子と1人の愚かな若者」…という報道と共に戦犯として多くの批判を浴びることになりました。
この大会では7番を付けてプレーしています。
ユーロ【2000】
2000 | ユーロ | 7 |
1998ワールドカップ終了後もコンスタントに代表に招集され続け、続くユーロ2000にもメンバー入り。
1998ワールドカップでの愚行により、ファンからのブーイングは続いていたものの…グルーオン敗退となった低迷したイングランド代表の中では3アシストを記録する活躍をしていますね。
この大会でも7番を付けてプレーしています。
ワールドカップ【2002】
2002 | ワールドカップ | 7 |
ユーロ終了後にはイングランド代表のキャプテンに指名され、2002年ワールドカップへ向けたチームの中心となります。
ワールドカップ予選でもコンスタントに活躍し、特に最後のギリシャ戦では値千金となる同点弾をフリーキックから叩き込みました。
この活躍によりイングランド代表は1位突破となっています。
本大会では5試合全てに出場し、1ゴール3アシストの活躍でベスト8入りに貢献。
ベスト8ではあったものの、負けたのは優勝したブラジルという結果でしたね。
この大会でも背番号は7番を付けてプレーしています。
ユーロ【2004】
2004 | ユーロ | 7 |
続くユーロ2004にも選出されキャプテンとして4試合全てに出場。
4試合で2アシストを記録しているものの…初戦のフランス戦でのPK失敗と、準々決勝ポルトガル戦でのPK戦の失敗の方が記憶に残ってしまっています。
この大会でも背番号は7番でした。
ワールドカップ【2006】
2006 | ワールドカップ | 7 |
続くワールドカップ2006にもキャプテンとして選出され、5試合全てに出場しています。
この大会では1ゴール3アシストを記録し、イングランド代表初の「ワールドカップ3大会で得点した選手」となっています。
準々決勝ポルトガル戦では怪我のために途中交代、チームもPK戦の末に敗れて大会を終えていますね。
この大会でも背番号は7番でした。
2006年以降
ワールドカップ敗退の翌日に記者会見を行い、キャプテンを退くことを発表。
(後任はジョン・テリー)
その後はイングランド代表が若返りを目指したこともありしばらく代表に呼ばれていませんでしたね。
2007年6月の親善試合で約1年ぶり(9試合ぶり)に代表に復帰し1アシストを記録。
続くユーロ予選のエストニア戦にも選出され2アシストを記録するも…続くユーロ予選は4試合招集されませんでしたね。
最終クロアチア戦で久しぶりに招集されたものの…チームは敗れてユーロ2008への出場を逃しています。
ちなみにこのクロアチア戦では17番でした。
(7番はギャレス・バリー)
この頃はロサンゼルス・ギャラクシーに所属していたので、欧州以外のクラブに所属する初のイングランド代表選手という記録も作っています。
ユーロ予選敗退後は1試合招集外だったものの、続くフランスとの親善試合にて5人目となるイングランド代表100試合を達成。
2010ワールドカップの欧州予選にもコンスタントに出場したものの…本大会は怪我により招集外に。
しかしコーチと選手の間を取り持つ事を期待され、代表スタッフとしてワールドカップに帯同しましたね。
2010ワールドカップの欧州予選ではセオ・ウォルコットやアーロン・レノンが7番を付けることが多かったため、ベッカムは15番や17番を付けてプレーしました。
2010ワールドカップ後には3月の親善試合エジプト戦に招集されましたが出番はありませんでしたね。
結果としてこれが最後の代表招集となり、この時の背番号は18番でした。
ベッカムの背番号が7なのはなぜ?
ベッカムの背番号7ですが、本人が熱望したと言われています。
マンUの7番というのは非常に伝統的な番号でして…先ほど紹介したように背番号は固定ではなかったものの、比較的いつも付けていた選手というのが存在します。
ベッカムの前はエリック・カントナ、その前はブライアン・ロブソン、そしてその前はジョージ・ベストとユナイテッドを代表する選手が付けていた番号です。
マンチェスター・ユナイテッドでは古くから伝統のある、非常に大切なナンバーだったわけなんですね。
そんなこともあり、マンUのユース出身でもあるベッカムも憧れの番号だったのではないでしょうか?
ちなみにちょっとした逸話もありまして、カントナが退団したあと次に7を付ける予定だったのはロイ・キーンだったと言われています。
キャプテンと伝統の番号である7を、当時の監督アレックス・ファーガソンはロイ・キーンに与える予定だったそうで。
しかし、キーン自身が断ったことでベッカムが7を付けることになったようです。
ロイ・キーンが断った理由は明らかにされていませんが、彼は1996-1997シーズンから長いこと16番を使用。
アイルランド代表では6番を使ったりと、「6」という数字にこだわりがあったのかもしれませんね。
23や32を付けた理由はなに?
ベッカムがレアルで23となった理由ですが、ラウル・ゴンサレスが既に付けていたからです。
レアルのキャプテンでもあり、7にも強いこだわりがあったラウルから番号を貰うということは出来なかったのでしょう。
ベッカムとしても加入早々キャプテンと背番号でもめるのも面倒だと思った部分もあるかもしれませんね。
それではなぜ23になったのか…これは色々と言われていますが、マイケル・ジョーダンの番号だからという説が有力です。
ベッカムはバスケットボールの伝説的選手である、マイケル・ジョーダンのファンなんだそうです。
サッカー選手で「23番=〇〇!」みたいな存在がいないから…といった話もありましたね。
その後ロサンゼルス・ギャラクシーでも23が空いていたために、継続して使用。
ACミランへレンタルで移籍した際には、7番はアレシャンドレ・パトが、23番は副キャプテンであるマッシモ・アンブロジーニが使用。
そのために、23をひっくり返して32にしたと言われていますよ。
パリ・サンジェルマンでも7番はジェレミー・メネスが、23番はグレゴリー・ファン・デル・ヴィールが既に使用していたために、32番を使用していますね。
ベッカムのユニフォームを紹介!
ベッカムのユニフォームですが、人気選手だけに現在でも結構手に入れることが可能です!
なのですが…さすがに引退した選手ということもありマンチェスター・ユナイテッド時代のユニフォームはなかなか見つからない状態。
最近のシーズンの物に7番とベッカムの文字を入れたものは販売されていますけどね。
当時の物が欲しいとなると…なかなか探すのは大変な状態です。
レアル時代はと言うと、こちらのように現在も販売されているものも!
ミラン時代もまだまだ販売されていますね。
そして引退となったパリ・サンジェルマン時代がこちらです。
当時のユニフォームはレプリカでさえもあまり復活ということはないですよね。
ベッカムのユニフォームが欲しいという方は、あるうちに…早めの購入がおすすめです。
まとめ
ということで今回の記事のまとめです。
ベッカムの歴代背番号は本文内で
7はマンU伝説の番号!本人が熱望
23はラウルが7を使っていたため
32もパトが7を、アンブロジーニが23を使っていたため
往年のサッカーファンはやはりベッカム=7のイメージですよね。
最近のサッカーファンは32なのでしょうか?
なんにせよ7にこだわりを持ち、あまり背番号を変えない選手だったと言えそうです。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。