マルディーニの背番号を歴代で紹介!イタリア代表とACミランで3番以外を付けたことは?

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史上最高の左サイドバックとして、クラブでもイタリア代表でも活躍たパオロ・マルディーニ選手。

ミランの象徴的な選手であり、この時代のACミランファンにはお馴染みの選手ですね。

生涯ミラン一筋でプレーし、代名詞とも言えるのが背番号3です。

この番号は永久欠番となっており、継承出来るのは息子のみと決まっていますね。

3番のイメージが非常に強い選手ですが、果たして他の番号を付けたことはあるのでしょうか?

今回はそんなパオロ・マルディーニの背番号を歴代で振り返ってみたいと思いますよ。

せっかくなので、クラブと代表の両方を紹介します。

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マルディーニの背番号を歴代で紹介!【クラブ編】

1984-1985 ACミラン 3、14など
1985-1986 3、4など
1986-1987 3など
1987-1988
1988-1989
1989-1990
1990-1991
1991-1992
1992-1993 3、6など
1993-1994 3など
1994-1995 3、5など
1995-1996 3
1996-1997
1997-1998
1998-1999
1999-2000
2000-2001
2001-2002
2002-2003
2003-2004
2004-2005
2005-2006
2006-2007
2007-2008
2008-2009

ACミラン時代

ACミラン時代…と書きましたが、当時としてもかなり珍しい1つのクラブでキャリアを終えた選手です。

1984-1985シーズンに16歳でセリエAデビューをはたし、2008-2009シーズンで引退するまで25シーズンに渡りミランでプレーしています。

セリエAの背番号が固定制になったのは1995-1996シーズンから。

それまではスタメンの選手に1~11番までを割り振るという形式が取られていましたよ。

ベンチの選手は12番~という感じですね。

この頃はポジションで番号が決まっており、マルディーニが主にプレーしていた左サイドバックは3番でした。

ちなみにイタリアでは4バックの場合、右から2番5番6番3番というのがオーソドックス。

つまり、マルディーニの代名詞とも言える3番はここからきています。

背番号が固定制になるまでも、基本的にスタメン時は左サイドバックで起用されたため3番を使用。

控えの時は大きな番号を付けるといった形でした。

なぜか1985-1986シーズンには4番を付けたことがあるようで…これは4-4-2だとセントラルハーフの守備よりの選手…いわゆるディフェンシブハーフが付ける番号でした。

他にはフランコ・バレージが不在の時などに、6番を付けてセンターバックでプレー。

5番も同様にセンターバックでプレーした時の番号ですね。

背番号固定制度が導入されてからは、引退までずっと3番を付けてプレーしています。

キャプテンも務め、ミランでのあまりの功績の大きさにバレージの6番同様に…この番号はACミランの永久欠番となっています。

一応、息子のクリスティアン・マルディーニのみ継承が許されているとのことですが…残念ながらミランの下部組織止まり。

2019-2020シーズン現在は、セリエD所属のSSDプロ・セストというチームに所属しています。

既に23歳ということで、ここからACミランに帰ってくるのは現実的ではないでしょう。

ちなみにクリスティアンは父親同様にサイドバックとセンターバックの選手ですが、どちらかと言うとセンターバックの方が本職のようですね。

更に、息子はもう一人いまして…それがダニエル・マルディーニ選手。

ミランのプリマヴェーラ所属ですが、2019-2020シーズン前に行われたプレシーズンマッチでトップチームデビュー!

リーグ戦でもトップチームに呼ばれることがありましたが、今のところベンチ登録までで出場はありません。(その時の背番号は98でした)

現在18歳ということで、将来的にミランでプレーする確率はありそうです。

しかしダニエルはフォワードの選手ということもあり…3番を付ける可能性は低そうですね…。

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マルディーニの背番号を歴代で紹介!【イタリア代表編】

1988 EURO 8
1990 W杯 7
1994 W杯 5
1996 EURO 3
1998 W杯
2000 EURO
2002 W杯

代表に関しては、親善試合などが追いきれないので…主要大会の背番号を紹介します。

A代表に初選出となったのは1988年3月の国際親善試合だったかと。

途中出場にてA代表デビューしていますが、背番号は不明です。

主要大会はこの年のユーロから。

背番号は8番となりますが、当時のイタリア代表はGKが1、12、22(登録人数の最後)となり、DF・MF・FWの順でアルファベット順に番号が与えられました。

一部例外有り。後ほど紹介)

このやり方は1998年のワールドカップまで続きまして、1990年のワールドカップでは7番を。

1994年のワールドカップでは5番という、あまりマルディーニには馴染みのない番号が続きます。

1996年のユーロでは3番を付けるのですが、ここから例外のパターンに。

アルファベット順の例外が認められるのが、キャプテンとエースとなっており1996年のユーロではキャプテンを務めたことで3番を付けました。

1998年も同様に、キャプテンだったために番号を選べて3番となっています。

この例外で有名なのが1994年ワールドカップのキャプテンであるバレージ(6番)と、エースであるロベルト・バッジョ(10番)です。

1998ワールドカップではマルディーニ(3番)とデル・ピエロ(10番)ですね。

2002年のワールドカップではこの番号の付け方が廃止され、ある程度好きな番号を選択出来るように。

そのためマルディーニは、代名詞とも言える3番を付けています。

ちなみに主要大会ではないために、表には書いていませんが…1998年には6番を付けたことも。

アルファベット順が廃止となり、この頃はなんとなくポジションごとに付ける風潮もあり…左側のセンターバックを務めた時6番を付けています。

この時は確か左サイドバックに入った、モレノ・トリチェッリが3番だったと思います。

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まとめ

ということで今回の記事のまとめです。

パオロ・マルディーニの背番号をクラブと代表別にまとめ

基本的に代名詞とも言える3番が多い

3番なのはイタリアで左サイドバックの番号だから

代表では、イタリア代表のアルファベット順ルールもあり色々な番号を付けていました。

しかし選べるようになってからは、やはり3番が多いですね。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

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