ロベルト・バッジョと言えば、90年代を代表するイタリアのファンタジスタですよね。
人を魅了するプレースタイルに、独特のヘアスタイルと当時夢中になった方も多いハズ。
若い方でも、リアルタイムは知らないけど名前と凄い選手だったらしい…なんてことは知ってる、って方も多いですよね。
そんなロベルト・バッジョと言えば、やはり1994年のアメリカワールドカップ決勝のPK失敗。
そしてそれにまつわる言葉が有名ですよね。
しかし、それ以外にも数多くの名言を残しています!
今回はそんなロベルト・バッジョの名言の中から、激選して5つを紹介したいと思います。
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ロベルトバッジョの名言5選!
PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ
どうしても外せないのがコレでしょう。
1994年のアメリカワールドカップ決勝、ブラジル戦でPK戦にまでもつれ込み…イタリア代表5人目のキッカーであったバッジョが外したことでブラジルの優勝が決まったもの。
あまりのインパクトに…外したバッジョの責任のように語られていますが、実はこのPKを決めていたとしても…ブラジルの5人目のキッカーが成功すればブラジルの優勝でした。
そしてこの言葉はこの時のものではありません。
1998年のフランスワールドカップ、準々決勝のフランス戦。
延長の末、PK戦までもつれ込み…イタリア5番目のキッカーであったルイジ・ディ・ビアジョが外した際に、泣き崩れるディ・ビアジョにかけた言葉と言われています。
4年前の悪夢を経験しただけに、ディ・ビアジョの気持ちが痛いほどよくわかったのでしょうね。
ちなみにこのフランス戦では、バッジョは1番目のキッカーとして成功させています。
余談ではありますが、1994年のPK失敗の印象が強すぎるためか…PKに強くないと思っている方もいるようですが…かなり優秀なPKキッカーです。
セリエAでは通算81本のPKを蹴り、成功したのは66回。
成功率は81%となっています。
思いついたプレーの中から、最も難しいものを選ぶことにしている
これも彼らしい(ファンタジスタらしい)、非常に有名な言葉ではありますが…背景や状況は不明です。
恐らく何かのインタビューでの一言だとは思いますが…。
見るものを魅了するプレーの根本はここにあったのかもしれませんね。
90年代は既にサッカーがフィジカル重視のものに変わりつつあり、ファンタジスタにとっては生きづらい世界に変わってきていました。
3点の地味なゴールを取るより、華麗な1点を取る方が良い
これまたファンタジスタらしい発言ですが、これも背景や状況は不明です。
同じくインタビューの一部分かと思われますが…。
セカンドストライカーとしてプレーすることが多く、リーグ、カップ、更には代表と20年を超えるキャリアで取ったゴールは実に300と少し。
一般的にはセリエAの205ゴールと、イタリア代表での27ゴールの合わせて232ゴールが有名ですね。
平均すればシーズン10ゴールとなるわけで、チームの得点源となる選手だったことも事実。
しかし、こんな発言をする辺りがストライカーではなくファンタジスタなんだなと思わせますね。
対して生粋のストライカーはと言えば、例えばマルコ・ファン・バステンの言葉がこちら。
「9本の見事なゴールと10本の平凡なゴール、どちらを選べというなら迷わず10本を選ぶ」
更にはオフサイドポジションで生まれた男こと、フィリッポ・インザーギの言葉はこちら。
「いつだって僕は多くのゴールを決めてきた。ストライカーにとってゴールこそが人生なんだ」
まるで正反対のようで面白いですね。
サッカーをプレーできるなら、寿命が縮んだっていい
同様の言葉として、「私はサッカーに恋をした」という名言も残していますね。
そのくらいサッカー小僧だった…ということなのですが、彼の場合はやっぱり怪我の影響が大きいのだと思います。
セリエCのヴィチェンツァ時代に右膝の十字靱帯を断裂。
既に移籍が決まっていたフィオレンティーナは、この状況にも関わらず契約を破棄せず怪我が治るのを待ちました。
契約破棄となっていたら…歴史は変わっていたかもしれませんね。
ちなみに、この怪我のため1年以上を棒に振り…フィオレンティーナ1年目は1試合も出場無し。
2年目もわずか5試合の出場となっています。
その後のキャリアも怪我と共にあり、非常に故障の多い選手でした。
そもそも論的には…やはりヴィチェンツァ時代の怪我の影響が大きいのでしょう。
医師にはサッカーを諦めるように言われるレベルだったそうで、その後も何度も膝にメスを入れることになっています。
そんな状況を乗り越えて続けてきたサッカーだけに、寿命が縮まってでも膝の痛みなくサッカーを続けたかったのではないでしょうか?
親交のあるキングカズこと三浦知良選手の、現役続行を後押ししている話も有名ですね。
自分はプレーしたくてももう出来ない…だから同い年のカズには頑張ってほしい、そんな想いが託されているのでしょう。
諦めるより夢を見る方が性にあっている
これもまた背景や状況は不明です。
しかし多くの怪我を乗り越えて奇跡を起こしてきたがゆえに、言葉に重みがありますね。
最初の困難は既に書いたように、セリエCに所属していたヴィチェンツァ時代。
今後のキャリアを左右…どころか18歳にて現役引退の可能性すらあった大怪我でしょう。
その後も怪我に泣かされることが多く、4度目のワールドカップ出場を目指した2002年もこの言葉が特に当てはまるように思います。
2000年にインテルを退団した時点では、終わった選手という見方も多かったようで…。
しかしブレシアで見事に復活し、ゴールを量産。
日韓ワールドカップに向けてのアピールを続けていた矢先に全治6か月の負傷…。
その後は懸命のリハビリでまさかの2か月で戦線に復帰し、代表入りのアピールをします。
結局2002年のワールドカップメンバー入りはなりませんでしたが…諦めずに夢を見続けて努力し続けたという典型例ではないでしょうか?
終わった選手と言えば、それ以前にも1度復活劇がありましたね。
アレッサンドロ・デル・ピエロの台頭もあり1995-1996シーズンにはACミランに移籍。
ミランでも監督がアリゴ・サッキに代わってからは出場機会を減らし、代表からも落選しています。
これもあり1997-1998シーズンにはボローニャに移籍。
ここで見事な復活を果たし、1998年のフランスワールドカップ出場を掴んでいます。
順風満帆ではなく、叶わなかった夢も多いですが…それでも諦めずに夢を見続けた選手ですね。
まとめ
ということで今回の記事のまとめです。
ロベルト・バッジョの名言を5つ紹介!
今でもファンが多くいる印象的な選手ですよね。
キャリアは非常にドラマチックなだけに、残した言葉も心に響くものが多いですね。
現在は走ることが出来ないほどに膝が悪いようですが、サッカーに全く関わっていないわけではないようです。
あまり情報が表に出てこないですが、どうやらイタリアで指導者の育成に関わっているそうです。
またいつの日かサッカーの世界で元気な姿を見たいですね。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。