1980年代後半から1990年代を代表するストライカーであるロマーリオ。
バルセロナやPSVでの活躍は本当に素晴らしく、ブラジル代表でもエースストライカーとして活躍していましたね。
そんなロマーリオの背番号を歴代で紹介します。
11番のイメージが強い選手ではありますが、11以外の番号を付けてプレーしていたこともありますよ。
【所属クラブ】
1985-1988 | ヴァスコ・ダ・ガマ | – |
1988-1993 | PSV | 9 |
1993-1995 | バルセロナ | 10 |
1995-1996 | フラメンゴ | 11 |
1996-1998 | バレンシア | 11 |
1997 | フラメンゴ(loan) | 11 |
1998-1999 | フラメンゴ | 11 |
2000-2002 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 11 |
2002-2004 | フルミネンセ | 11 |
2003 | アル・サッド(loan) | 11 |
2005-2006 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 11 |
2006 | マイアミ・ユナイテッドFC | 11 |
2006 | アデレード・ユナイテッド | 11 |
2007 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 11 |
2009 | アメリカFC | 11 |
【ブラジル代表】
1987 | コパ・アメリカ | 19 |
1989 | コパ・アメリカ | 11 |
1990 | ワールドカップ | 11 |
1994 | ワールドカップ | 11 |
1997 | コパ・アメリカ | 11 |
コンフェデレーションズカップ | 11 |
ロマーリオの背番号を歴代で紹介!【クラブ編】
ヴァスコ・ダ・ガマ【1985-1988】
1985-1988 | ヴァスコ・ダ・ガマ | – |
ロマーリオは13歳の時に母国ブラジルのオラリアというクラブのユースに所属。
15歳でヴァスコ・ダ・ガマに移籍し、1985年に19歳でトップチームデビューを果たします。
この頃は背番号も現在のように固定されておらず、出場11人に1~11までを割り当てる方式でした。
そのため、この時の背番号は今一つ不明となっています。
PSV【1988-1993】
1988-1993 | PSV | 9 |
1988-1989シーズンよりオランダのPSVに移籍。
オランダ国内だけでなく、欧州の舞台でも活躍し一気に頭角を現していった時期です。
PSVでは基本的に9番を付けてプレーしていましたが、記録には14番や16番も残っているようです。
PSV時代の貴重な映像をどうぞ。
バルセロナ【1993-1995】
1993-1995 | バルセロナ | 10 |
1993-1994シーズンよりスペインのバルセロナに移籍。
デビュー戦でハットトリックという鮮烈なデビューを飾り、33試合30ゴールという結果を残しています。
1994-1995シーズンは不調となり、シーズン途中での退団となりました。
この当時のリーガ・エスパニョーラも背番号固定制度を採用する前ですが、ロマーリオは基本的に10番を付けてプレーしています。
他にも9番という記録が残っているようです。
バルセロナ時代のプレー映像をどうぞ。
フラメンゴ【1995-1996】
1995-1996 | フラメンゴ | 11 |
1994-1995シーズンは不調でベンチが多くなったこともあり、シーズン中の1995年にブラジルのフラメンゴにレンタル移籍。
そしてそのまま完全移籍となっています。
クラブではフラメンゴで、ロマーリオの代名詞とも言える11番を付けることになりました。
そんなフラメンゴ時代の映像をどうぞ。
バレンシア【1996-1998】
1996-1998 | バレンシア | 11 |
1996-1997シーズンの途中、1997年1月にスペイン復帰でバレンシアに移籍。
1997-1998シーズンまでの在籍となるものの、1997年には再びフラメンゴにレンタル移籍ということもあり…バレンシア時代は通算11試合の出場に留まっています。
バレンシア時代には背番号固定制度が採用され、11番となっています。
バレンシア時代の映像をどうぞ。
フラメンゴ【1997-1999】
1997 | フラメンゴ(loan) | 11 |
1998-1999 | フラメンゴ | 11 |
再びブラジルのフラメンゴに移籍。
1998年からは完全移籍となり、ブラジル復帰となりました。
フラメンゴでも背番号は11番です。
ヴァスコ・ダ・ガマ【2000-2002】
2000-2002 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 11 |
2000年には再びキャリアをスタートさせたヴァスコ・ダ・ガマへ復帰。
通算で46試合41ゴールという決定力の高さを見せつけています。
ヴァスコ・ダ・ガマでも背番号は11番。
ヴァスコ時代の映像をどうぞ。
フルミネンセ【2002-2004】
2002-2004 | フルミネンセ | 11 |
2002年にはブラジルの強豪フルミネンセに移籍。
ここでも背番号は11番となっています。
フルミネンセ時代の映像をどうぞ。
アル・サッド【2003】
2003 | アル・サッド(loan) | 11 |
2003年にはレンタル移籍で、カタールのアル・サッドに移籍。
ここでも背番号は11番を付けてプレーしています。
プレー映像では無いですが…アル・サッド時代の映像をどうぞ。
ヴァスコ・ダ・ガマ【2005-2006】
2005-2006 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 11 |
2004年でフルミネンセを解雇となりましたが、再びヴァスコ・ダ・ガマに復帰。
なんと2005年には得点王にも輝いています。
背番号は変わらず11番ですね。
マイアミ・ユナイテッドFC【2006】
2006 | マイアミ・ユナイテッドFC | 11 |
2005年末での引退を表明していたものの、2006年にはアメリカのマイアミ・ユナイテッドFCに移籍。
米国下位リーグではあるものの、19得点でリーグ得点王を獲得しています。
背番号はマイアミでも11番です。
そんなマイアミ時代の映像をどうぞ。
アデレード・ユナイテッド【2006】
2006 | アデレード・ユナイテッドFC | 11 |
そして同2006年にはオーストラリアのアデレード・ユナイテッドFCに、4試合限定のゲストプレーヤーとして移籍。
4試合で1ゴールを記録しています。
アデレード・ユナイテッドでも背番号は11番です。
アデレード時代の映像をどうぞ。
ヴァスコ・ダ・ガマ【2007】
2007 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 11 |
2007年には再びヴァスコ・ダ・ガマに復帰。
6試合に出場し3得点という衰えの無さを見せつけています。
そしてキャリア通算1,000ゴールという偉業を達成していますね。
背番号は変わらず11番です。
アメリカFC【2009】
2009 | アメリカFC | 11 |
2008年で引退し引退試合も行いましたが…2009年11月にリオデジャネイロ州選手権2部のアメリカFCというクラブで現役復帰!
そして再び引退し、2010年10月より政治家に転身しています。
アメリカFCでも背番号はもちろん11番です。
ロマーリオの背番号を歴代で紹介!【ブラジル代表編】
コパ・アメリカ【1987】
1987 | コパ・アメリカ | 19 |
ブラジル代表デビューは1987年5月23日の親善試合です。
すぐに定着し、この年のコパ・アメリカに出場。
ブラジル代表はグループステージ敗退となりましたが、途中出場で全2試合に出場しています。
この時の背番号は19番ですね。
コパ・アメリカ【1989】
1989 | コパ・アメリカ | 11 |
1989年のコパ・アメリカでは、レギュラーとして7試合中6試合に出場。
3ゴールを挙げブラジル代表の優勝に貢献しています。
ここから代名詞とも言える背番号11となります。
ワールドカップ【1990】
1990 | ワールドカップ | 11 |
1990年のイタリアワールドカップでは、カレカやミューレルにポジションを奪われる形となり…グループリーグ1試合の出場に留まります。
そしてブラジル代表もベスト16で姿を消すことに…。
この大会でも11番を付けています。
ワールドカップ【1994】
1994 | ワールドカップ | 11 |
続く1991年と1993年のコパ・アメリカでは招集外に。
アルベルト・パレイラ監督との不仲もあり、1994年ワールドカップの出場も怪しい状態でした。
更には当時のブラジル代表は分裂状態であり、初のワールドカップ予選敗退も見えるところに…。
そんな中、南アメリカ予選の最終試合であるウルグアイ戦よりロマーリオは代表に復帰。
2ゴールを挙げる活躍で本戦行きの切符をつかんでいます。
本大会でも5得点を挙げ、ブラジルの優勝に貢献。
大会MVPと、この年のFIFA最優秀選手に選ばれています。
背番号はもちろん11番でした。
コパ・アメリカ【1997】
1997 | コパ・アメリカ | 11 |
1995年のコパ・アメリカは招集外だったものの、1997年のコパ・アメリカで復帰。
全6試合中、5試合に出場しブラジル代表の優勝に貢献しています。
背番号はもちろん11番でした。
コンフェデレーションズカップ【1997】
1997 | コンフェデレーションズカップ | 11 |
同年のコンフェデレーションズカップにも招集。
全5試合中4試合に出場し、7得点を挙げる活躍で優勝に貢献しています。
背番号はもちろん11番でした。
1998年以降
1998年のフランスワールドカップは…故障により招集外。
2002年の日韓ワールドカップは、南米予選で5試合に招集され8得点。
更には3試合でキャプテンを務めるものの…ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の構想から外れ…本大会のメンバーには選出されませんでした。
日韓ワールドカップではブラジル代表が優勝するわけで…スコラーリ監督の判断が正しかったのかもしれませんが、記者会見でのロマーリオの涙を忘れることは出来ません…。
ちなみにこの大会で11番を付けたのはロナウジーニョでした。
その後は招集が無く、2004年に代表引退を表明。
引退試合を行うも、アルベルト・パレイラ監督がロマーリオのキャリアに敬意を払い2005年の親善試合に招集。
この試合でゴールを挙げ、代表から退いています。
まとめ
ということで今回の記事のまとめです。
ロマーリオの背番号をクラブと代表でそれぞれ紹介
ほぼ11番ですが、9番や10番を付けたことも
今改めて映像を見ても、とんでもないストライカーですね。
そんなロマーリオも今では政治家として活躍中です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。