世界最高のゴールキーパーとして、クラブでもイタリア代表でも活躍してきたジャンルイジ・ブッフォン選手。
今でこそ年齢による衰えが見られますが、全盛期は本当に彼からポジションを取れる選手はいないんじゃないかと思わせるレベルでしたね。
そんなブッフォンの背番号と言ったら、やはりゴールキーパーの象徴でもある1番ですよね。
しかし2019-2020シーズンに、パリ・サンジェルマンから古巣のユベントスに復帰した際には77番を選択。
これはいったい何故なのか?
今回はそんなジャンルイジ・ブッフォンの背番号を歴代で振り返ってみたいと思いますよ。
せっかくなので、クラブと代表の両方を紹介します。
【所属クラブ】
1995-1996 | パルマAC | 12 |
1996-2000 | 1 | |
2000-2001 | 77 | |
2001-2018 | ユヴェントスFC | 1 |
2018-2019 | パリ・サンジェルマン | 1 |
2019- | ユヴェントスFC | 77 |
【イタリア代表】
1998 | ワールドカップ | 22 |
2002 | ワールドカップ | 1 |
2004 | ユーロ | 1 |
2006 | ワールドカップ | 1 |
2008 | ユーロ | 1 |
2009 | コンフェデレーションズカップ | 1 |
2010 | ワールドカップ | 1 |
2012 | ユーロ | 1 |
2013 | コンフェデレーションズカップ | 1 |
2014 | ワールドカップ | 1 |
2016 | ユーロ | 1 |
2016-2017 | ワールドカップ欧州予選 | 1 |
ブッフォンの背番号を歴代で紹介!【クラブ編】
パルマAC【1995-2001】
1995-1996 | パルマAC | 12 |
1996-2000 | 1 | |
2000-2001 | 77 |
1991年にパルマの下部組織に入団し、1995-1996シーズンに17歳でトップチームに昇格。
ちなみにこの時はまだパルマACでしたね。
(パルマFCへの改名は2004年から)
そして17歳9か月というゴールキーパーとしては驚異的な若さでセリエAデビューしています。
これは当時のゴールキーパー最年少先発出場記録!
現在は2015年に更新した、ACミランのジャンルイジ・ドンナルンマが16歳242日という記録になっています。
ブッフォンのデビューとなった1995-1996シーズンより、セリエAは背番号固定制を採用。
従来のスタメンに1~11番を割り振る方法ではなく、現在と同じ1選手1番号に変更になりました。
そのため、ブッフォンのデビューシーズンは、第2GKの定番でもある12番。
ちなみにこの時に背番号1を付けていたのが、当時のパルマの正守護神であったルカ・ブッチ選手。
2シーズン目となった1996-1997より、ルカ・ブッチよりポジションを奪い取り正ゴールキーパーの座を確保。
ルカ・ブッチが移籍した1997-1998シーズンより、背番号を1番に変更しています。
そしてパルマ最後のシーズンとなった2000-2001に77番に変更。
これは色々と逸話がありまして、当初は00にする予定だったそうで…。
怪我により棒に振ったユーロ2000の雪辱を誓い、心機一転背番号を変更しようとしていたようですが…ボールが2つということで00に。
しかしセリエAでは00は認められておらず、88に。
これまた88はナチスを連想させるとしてユダヤ人の市民団体からの猛反発を受けています。
なんでも8はアルファベットの8番目であるHを指し、88=HHということでHeil-Hitlerを表す…とかなんとか。
ブッフォンの言い分としては、00がダメだったのでボールが2つで8に。
88にすればボールが4つで更に良いじゃん!ということだったそうです。
結果88番は諦め、理由は不明なものの…同じくゾロ目である77番を選択しています。
ユヴェントス【2001-2018】
2001-2018 | ユヴェントスFC | 1 |
パルマでの活躍により、2001年7月に当時GKとして史上最高額の移籍金となる5,230万ユーロ(当時約56億円)にてユヴェントスに移籍。
加入初年度となる2001-2002シーズンより、1番を付けてプレーしています。
ちなみに前シーズンである2000-2001に1番を付けていたのが、オランダ代表のエトヴィン・ファン・デル・サール選手。
オランダ史上最高のゴールキーパーと言われ、マンチェスター・ユナイテッドでの大活躍などが記憶に新しいですね。
母国アヤックスでの大活躍より1999-2000シーズン前にユーヴェに加入したものの…セリエAに馴染めなかったか、本来のパフォーマンスを発揮出来ず…。
ブッフォン加入によりポジションが危うくなったこともあり、2001-2002シーズン前にイングランドのフラムに移籍しています。
フラムFCで復帰し、その後のユナイテッドでの大活躍といい…イタリアが合わなかったんでしょうね…。
ブッフォンに話を戻しまして、その後ユーヴェでは退団までの17シーズン全てで1番を付けてプレーしています。
ほぼ全シーズンでコンスタントに出場し、このまま引退かと思われていたのですが…パリ・サンジェルマンへ移籍し現役を続けることを選択しましたね。
パリ・サンジェルマン【2018-2019】
2018-2019 | パリ・サンジェルマン | 1 |
ユーヴェで引退するかと思いきや、初のイタリア国外挑戦となったのはフランスのパリ・サンジェルマンでした。
加入当初はケヴィン・トラップが1番を付けていたために、プレシーズンでは確か…18番を付けていたような気がします。
パリ・サンジェルマンはブッフォン移籍の前シーズンである2017-2018シーズンは、このケヴィン・トラップとアルフォンス・アレオラのポジション争いでした。
ブッフォン加入により3者での争いになるかと思いきや、ケヴィン・トラップは8月末にアイントラハト・フランクフルトへ移籍。
そのため、シーズンが始まるとブッフォンが背番号1を付けることに。
アルフォンス・アレオラは前年同様に16番を継続。
正ゴールキーパー争いは…ほぼ出場機会を分け合う形で終わりましたね。
ユヴェントス【2019-】
2019- | ユヴェントスFC | 77 |
わずか1シーズンでパリ・サンジェルマンからユヴェントスに復帰。
復帰となった2019-2020シーズンは77番を選択しています。
これはパルマ時代の最後に付けた番号を改めて…ということのようですよ。
現在のユヴェントスの1番は、ポーランド代表のヴォイチェフ・シュチェスニー選手。
加入当初は23番でしたが、ブッフォンの移籍に伴い2018-2019シーズンより1番に変更しています。
2019-2020シーズンよりブッフォンが復帰するということで、シュチェスニーは1番を譲ると発言。
しかしブッフォンはその申し出に感謝を表しつつも、誰かから何かを奪うために戻ってきたわけじゃないとして断っています。
ちなみにユーヴェは何故かあまり大きな背番号を選手が付けることを認めていないクラブです。
セリエAの規定としては、99番まで認められているのですが…ユーヴェは若い番号を使っていますね。
ブッフォンの77番はこれまでの功績を称えて、特例で…ということのようです。
ブッフォンの背番号を歴代で紹介!【イタリア代表編】
ワールドカップ【1998】
1998 | ワールドカップ | 22 |
イタリアA代表に初選出となったのは1997年10月の1998ワールドカップ欧州予選プレーオフです。
第1戦のロシア戦で、ジャンルカ・パリュウカの負傷により出番がやってきましたね。
この時の背番号は12番でした。
1998フランスワールドカップ本戦では、1番をフランチェスト・トルドが付け、12番にジャンルカ・パリュウカ。
そして第3ゴールキーパーとして20歳ながら選出されたブッフォンが22番を付けています。
試合は全てパリュウカが出場したため、ブッフォンに出番はありませんでしたね。
ワールドカップ【2002】
2002 | ワールドカップ | 1 |
続く2000年のユーロでは大会直前に左手を負傷したこともあり…直前にメンバー外に。
この時はクリスティアン・アッピアーティが追加招集され1番を。
フランチェスト・トルドが12番を付けて、全ての試合でプレーしています。
つまり、怪我がなければこの大会からブッフォンが正ゴールキーパーとして1番を付けていただろう…ということですね。
続くワールドカップ2002には4試合全てに出場。
チームはまさかのラウンドオブ16で敗退という結果になった大会ですね。
この大会から背番号は1番となります。
ユーロ【2004】
2004 | ユーロ | 1 |
続くユーロ2004もグループステージで敗退するという失意の大会に。
ブッフォンは背番号1を付けて、3試合全てに出場しています。
ワールドカップ【2006】
2006 | ワールドカップ | 1 |
続くワールドカップ2006はイタリアが世界王者に輝いた大会。
7試合に出場しわずか2失点という大活躍をみせました。
しかも2失点の内訳はオウンゴールとPKという…まさに驚異的とも言える守備陣の硬さを見せた大会でしたね。
この大会でも背番号は1番です。
ユーロ【2008】
2008 | ユーロ | 1 |
続くユーロ2008では大会直前にカンナバーロが負傷離脱。
それもあり4試合中3試合でキャプテンマークを付けてプレーしました(出場は4試合全て)
唯一キャプテンマークをつけなかった試合では、デル・ピエロがキャプテンマークを巻いています。
ブッフォンの出来は悪くなかったものの…チームは好調とは言えず準々決勝で敗退しています。
この大会でも背番号は1番です。
コンフェデレーションズカップ【2009】
2009 | コンフェデレーションズカップ | 1 |
続くコンフェデレーションズカップ2009にも背番号1を付けて出場。
カンナバーロがベンチスタートとなった初戦はキャプテンマークを巻いてプレーしています。
しかしチームはグループリーグで敗退となりました。
ワールドカップ【2010】
2010 | ワールドカップ | 1 |
続くワールドカップ2010では初戦のパラグアイ戦で、椎間板ヘルニアにより前半のみで負傷交代。
その後の試合も欠場となり、イタリア代表は1勝も出来ずにグループステージで敗退となりました。
前回大会の王者がグループステージで敗退するという…まさかの大会でしたね。
ちなみに急遽代役を務めたのはフェデリコ・マルケッティ。
この大会でもブッフォンは背番号は1番です。
ユーロ【2012】
2012 | ユーロ | 1 |
続くユーロ2012ではカンナバーロから受け継ぐ形でキャプテンに。
6試合全てに出場し、決勝こそスペインに敗れたものの…準優勝に大きく貢献しています。
この大会でも背番号は1番です。
コンフェデレーションズカップ【2013】
2013 | コンフェデレーションズカップ | 1 |
続くコンフェデレーションズカップ2013でもキャプテンとして5試合全てに出場。
グループリーグでは日本とも戦い、イタリア相手に勝利も見えたのですが…底力を見せつけられた大会でしたね。
この大会でも背番号は1番を付けてプレーしています。
ワールドカップ【2014】
2014 | ワールドカップ | 1 |
続くワールドカップ2014にも招集され、史上3人目となるワールドカップ5大会連続メンバー入りを果たしました。
初戦のイングランド戦は足首の負傷もあり、この試合はサルバトーレ・シリグが出場しています。
残る2試合はキャプテンマークを巻いて出場しましたが、どちらも敗戦となり…グループリーグで姿を消す大会になりましたね。
この大会でも背番号は1番です。
ユーロ【2016】
2016 | ユーロ | 1 |
続くユーロ2016にもキャプテンマークを巻いて出場。
5試合中4試合に出場し、チームは準々決勝敗退となりましたが…この準々決勝ドイツ戦でのセーブがUEFAセーブオブザシーズンにノミネートされる活躍を見せています。
グループステージ突破が決まっていた最終戦では、サルバトーレ・シリグが代わりに出場しましたね。
この大会でも背番号は1番を付けてプレーしています。
ワールドカップ欧州予選【2016-2017】
2016-2017 | ワールドカップ欧州予選 | 1 |
ユーロ2016が最後の国際大会と当初は発表したものの、ワールドカップ2018まで延長することを発表。
欧州予選では全ての試合に出場しましたが…プレーオフでスウェーデンに敗れてワールドカップ本戦への切符を失いました。
出場していれば史上初の6大会連続出場となっただけに…非常に残念な結果でしたね。
予選時はメンバーも変更可能ですので背番号も固定はされていません。
しかし全ての試合で1番を付けてプレーしました。
プレーオフに敗れたその日に代表引退を発表。
しかしルイジ・ディ・ビアジョ暫定監督の招集を受けて2018年3月23日と27日の親善試合に帯同。
3/23のアルゼンチン戦のみ出場し、今のところこれが最後の代表キャップとなっています。
まとめ
ということで今回の記事のまとめです。
ジャンルイジ・ブッフォンの背番号をクラブと代表別にまとめ
基本的に正ゴールキーパーの番号とも言える1番が多い
好きな番号はゾロ目?
比較的1番にこだわって使い続けた選手と言えるでしょう。
00を使おうとしたり、88を使おうとしたり…結果77にしたりと、好きな数字と言う意味ではゾロ目が好きなのかもしれません。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。