ロナウジーニョの背番号を歴代で振り返る!今も買えるユニフォーム!

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元ブラジル代表で、非常に楽しそうにプレーするのが印象的なロナウジーニョ。

背番号と言えば10のイメージが非常に強い選手ですよね。

そんな10番が似合う選手ですが、やはりそれ以外の数字を背負っていたこともあります。

と言うか、意外と10番以外が多いんですよね。

歴代の背番号を振り返ってみたいと思いますよ。

クラブチームだけでなく、ブラジル代表での背番号もついでに見ていきましょう!

【所属クラブ】

1998-2001 グレミオ 9,10
2001-2002 パリ・サンジェルマン 21
2002-2003 10
2003-2008 バルセロナ 10
2008-2011 ACミラン 80
2011-2012 フラメンゴ 10
2012 アトレチコ・ミネイロ 49
2013-2014 10
2014-2015 ケレタロ 49
2015 フルミネンセ 10

【ブラジル代表】

1999 コパ・アメリカ 21
1999 コンフェデレーションズカップ 7
2002 ワールドカップ 11
2003 コンフェデレーションズカップ 7
2005 コンフェデレーションズカップ 10
2006 ワールドカップ 10
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ロナウジーニョの背番号を歴代で紹介!【クラブ編】

グレミオ【1998-2001】

1998-2001 グレミオ 9,10

ロナウジーニョはブラジル、グレミオの下部組織出身でトップチームにデビューしたのは1998年のこと。

グレミオ時代はいかんせん時代も古く…定かではないのですが、10番以外に9番を付けて試合に出ている映像がありますね。

この時代のブラジルは背番号が固定制ではなかったようで…これ以外の番号を付けてプレーしている可能性もあります。

パリ・サンジェルマン【2001-2003】

2001-2002 パリ・サンジェルマン 21
2002-2003 10

2001-2002シーズンを前にフランスのパリ・サンジェルマンに移籍。

初年度の背番号は21番が与えられていますが、この年の10番はジェイジェイ・オコチャが付けていましたね。

オコチャの退団に伴い、2002-2003シーズンからは背番号を10に変更していますよ。

バルセロナ【2003-2008】

2003-2008 バルセロナ 10

2003-2004シーズンを前にバルセロナに移籍。

移籍当初より10番を与えられることになりました。

ちなみに当時のバルサの10番はと言えば、フアン・ロマン・リケルメ!

10番が非常に似合う選手ではありますが、ファン・ハール監督との確執等々で出場機会も少なく…ロナウジーニョの加入と共に10番を剥奪されています。

更にはEU外選手枠を超えたこともあり…練習からも締め出されるという仕打ちを受け、8月にはビジャレアルに移籍しています。

リケルメの加入前の10番はリバウドでしたね。

ロナウジーニョは在籍期間全てのシーズンで10番を付けてプレーしました。

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ACミラン【2008-2011】

2008-2011 ACミラン 80

2008-2009シーズン前にACミランへと移籍。

10番はと言うと…同じく10番にこだわりを持つクラレンス・セードルフが付けていたために、ロナウジーニョは80番を選択しています。

(セードルフは2006-2007シーズンにルイ・コスタ移籍に伴い20→10へ変更)

この番号は自身の生まれ年である1980年にちなんで…と言われていますね。

在籍3シーズン全てで80番を付けてプレーしました。

フラメンゴ【2011-2012】

2011-2012 フラメンゴ 10

2010-2011シーズン途中の冬の移籍期間(2011年1月)に、ブラジルのフラメンゴに移籍。

ブラジルは日本同様に年をまたがずにシーズンが設定されているため、フラメンゴでは2011年シーズン最初から参加ということになりますね。

背番号は10番となっています。

フラメンゴは前年までデヤン・ペトコヴィッチが10番を付けていましたが、2011シーズン始まってすぐの6月で引退しています。

引退試合となった1試合しか出場していませんが、加入当初同様に43番を付けてプレーしていますね。

ということで、ロナウジーニョは加入時から10番を付けてプレーしています。

アトレチコ・ミネイロ【2012-2014】

2012 アトレチコ・ミネイロ 49
2013-2014 10

2012シーズン開幕後、2試合を消化した段階でアトレチコ・ミネイロに移籍。

なんでもフラメンゴが支払滞納したということでロナウジーニョが一方的に契約を解除した…と報じられていましたね。

とにもかくにも2012シーズン途中よりアトレチコ・ミネイロに加入し、背番号は49番に。

この年は既にギリェルメという選手が10番を付けていたために、違う番号を選ぶことになりましたね(加入がシーズン途中ですし)

この49番は母親の生まれ年が1949年だから…となっており、この時期に難病の手術を受ける母親のために選んだ番号と言われていますよ。

翌2013シーズンより背番号は代名詞とも言える10番に変更し、2014シーズン途中までそのままプレーしています。

ちなみにギリェルメという選手は10番をロナウジーニョに譲ったあとは17番に変更していますね。

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ケレタロ【2014】

2014-2015 ケレタロ 49

2014年9月にメキシコのケレタロFCに移籍。

メキシコリーグは詳しくないのですが…どうやら2014-2015シーズンの途中に加入という形になるようですね。

背番号は49番となり、恐らくシーズン途中での加入のために10番が付けられなかったものと思われます。

(この年のケレタロFCはメキシコのシンハという選手が付けていたようです)

そしてこの年が終了するまで在籍ということになるようです。

フルミネンセ【2015】

2015 フルミネンセ 10

メキシコでの2014-2015シーズン終了後の2015年7月に、母国ブラジルのフルミネンセFCに加入。

この2015シーズンはワグナーという選手が10番を付けていたようですが、ロナウジーニョ加入前日に中国の天津泰達へ移籍しています。

そのため10番が空き番となり、ロナウジーニョの番号になりました。

2015年9月末に退団となり、その後は未所属の状態が続きましたが2018年1月16日に現役引退が発表されています。

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ロナウジーニョの背番号を歴代で紹介!【ブラジル代表編】

コパ・アメリカ【1999】

1999 コパ・アメリカ 21

ロナウジーニョのブラジル代表初キャップは、1999年6月26日の親善試合ラトビア戦です。

この時の背番号は7番で、いきなり2アシストの大活躍を見せました。

直後に行われたコパ・アメリカのメンバー入りを果たします。

6試合中4試合に出場し、この時はまだ期待の若手といった立ち位置でしたね。

この大会では21番を付けてプレーしました。

10番はリバウドでしたね。

決勝は出番がなかったものの…決勝戦のハイライトがコチラ。

コンフェデレーションズカップ【1999】

1999 コンフェデレーションズカップ 7

コパ・アメリカ終了からわずか1週間後に行われたコンフェデレーションズカップにもメンバー入り。

5試合全てに出場し6得点7アシストという大活躍を見せています。

チームは残念ながら決勝で敗退し準優勝となりましたが、ロナウジーニョ自身は大会得点王最優秀選手賞を受賞しました。

この大会では7番を付けてプレー、10番はアレックスことアレクサンドロ・デ・ソウザが付けました。

ワールドカップ【2002】

2002 ワールドカップ 11

この後はしばらく招集外が続き、2002年のワールドカップ予選やコンフェデレーションズカップ2001、コパ・アメリカ2001といった辺りは招集されていません。

ワールドカップ南米予選の最終戦に招集され、その後親善試合2試合に招集されそのままワールドカップのメンバー入り。

ワールドカップでは7試合中5試合に出場し、そのうちの1試合はレッドカードによる出場停止でしたね。

2得点3アシストという結果を残し、ロナウド、リバウド、ロナウジーニョによる3Rは圧倒的な破壊力を見せつけました。

この大会では11番を付けてプレー、10番はリバウドです。

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コンフェデレーションズカップ【2003】

2003 コンフェデレーションズカップ 7

続くコンフェデレーションズカップ2003にも招集されますが、本人もチームも調子が上がらずまさかのグループステージ敗退。

ロナウジーニョは3試合全てにフル出場しましたが、0得点1アシストとなっていますね。

この大会では7番となり、10番はリカルジーニョことリカルド・ルイス・ロドリゲスでした。

コンフェデレーションズカップ【2005】

2005 コンフェデレーションズカップ 10

続く大会はコパ・アメリカ2004ですが、この大会では主力選手がほとんど招集されず控え選手を中心とするチームで臨みました。

そのためロナウジーニョも招集外になっていますね。

その後のコンフェデレーションズカップ2005に招集され、5試合全てに出場し3得点1アシストの活躍で優勝に貢献。

グループステージでは日本代表とも戦い、得点を奪われているだけに記憶に残っている方も多いでしょうか。

この大会から背番号が10番となりましたね。

ワールドカップ【2006】

2006 ワールドカップ 10

続くワールドカップ2006にもメンバー入りを果たし、5試合全てに出場しました。

アドリアーノ、ロナウド、カカと共にマジックカルテットと呼ばれたものの…チームは低調した大会となりましたね。

ロナウジーニョ自身も1アシストのみとなり、大会後にはロナウジーニョ像が破壊されるという事件もありました。

この大会でも10番を付けてプレーしています。

2006年以降

披露を理由にコパ・アメリカ2007を回避。

2008年にはオーバーエイジ枠で北京オリンピックに出場しています。

2010年のワールドカップでは30人までは残ったものの…23人のメンバーから外れ出場なりませんでしたね。

コパ・アメリカ2011も選出されず、その後は親善試合のみに出場しています。

代表ラストゲームとなったのは2013年4月25日のチリ戦となり、10番を付けてキャプテンマークを巻きプレーしました。

主要大会では記憶にありませんが、17番を付けていた時期もありますね。(2001年頃)

他には2009年頃には16番を付けた記録も残っています。

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今でも買えるロナウジーニョのユニフォーム!

ロナウジーニョのユニフォームですが、正直あまり豊富ではありません。

やはり毎シーズン新作となりますので…欲しいユニフォームは早めに買っておかないとダメですね…。

現在でもマーキング入りで手に入るのは、ミラン時代から…といったところですよ。

アウェーですが、2008-2009シーズンです。

なかなかレアなサードユニフォームも!

最後のクラブとなったフルミネンセのユニフォームも…サードのみしか…。

代表のユニフォームも最早なかなか入手が難しいって感じになっていますね。

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まとめ

ということで今回の記事のまとめです。

ロナウジーニョの背番号をクラブと代表で、歴代で紹介

今でも買えるユニフォームは非常に少ない

10番のイメージが非常に強いのは、やはりバルセロナの全盛期の影響でしょうかね?

ブラジル代表でも10番のイメージがありましたが、意外や意外に色々な番号を付けていました。

確かにキャリア初期にはリバウドがいましたからね。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

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